二十二年冬十月、王遷都於國内、築尉那巖城。十二月、王田于質山陰、五日不返。大輔陜父諫曰:王新移都邑、民不安堵、宜孜孜焉、刑政之是恤、而不念此、馳騁田獵久而不返。若不改過自新。臣恐政荒民散、先王之業墜地。王聞之震怒。罷陜父職。俾司官園陜父憤去之南韓。 二十二年(西暦3年)冬十月、王は国内に遷都し、尉那巌城を築いた。十二月、遷都したばかりなのに、王は質山の北での狩猟に出て五日も帰らず、大輔の陜父が諌めた。(中略)だが、王は諫言を怒り、陜父を罷免したので、陜父も憤って南韓に去った。 「国内遷都」 国内に遷都とは、国内(国内城ではなく)に尉那巌城を築いたので遷都したとの意味かもしれない。高句麗本紀自身が第十代山上王延優(伊夷模、在位197−227年)の二年に丸都城(国内城)を築いたと記しており、時代的にも伊夷模が合致する。 また、陜父は東明とともに東扶余を脱走した友人の一人とされるが、「桓檀古記」では、陜父は狗邪韓国に至り、加羅海の北岸に居を構えた後、倭国の阿蘇山に移住して多婆羅国の始祖となった。その後、任那を併呑したとある(詳細は高句麗神話を参照されたし)。 海舌 日峯 http://blog.kaisetsu.org/?eid=810976
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