真田氏ゆかりの九度山を歩く。 その3 <真田古墳・真幸地主大神>
「その2」のつづきです。真田庵から東へ170mほど歩いたところに、真田古墳と呼ばれる古墳があるのですが、地元に残る伝承によると、この古墳はその昔、「真田の...
真田幸隆の三男。武藤家を継いだ後に武藤喜兵衛を名乗るが、兄真田信綱・昌輝が長篠で戦死し急遽真田家を継いだ。勝頼の側近であったが真田郷に戻り上州計略・経営を担当。武田家滅亡後は、主家を失い北条家に臣属を打診した。その後、長男・信之を徳川方に、次男幸村を豊臣方に配属させ家名を存続させるしたたかさ。関ヶ原の合戦では徳川主力の秀忠軍を上田に釘付けにし、遅参させたのは有名な話。
2021年05月 (1件〜50件)