在野の研究者の歴史書から学んだ結果をまとめたもの
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【清和源氏】編『新田一族』章「徳川氏」節 113.徳川家康・百壱
【清和源氏】編『新田一族』章「徳川氏」節 112.徳川家康・百
【清和源氏】編『新田一族』章「徳川氏」節 111.徳川家康・九十九
【清和源氏】編『新田一族』章「徳川氏」節 110.徳川家康・九十八
【清和源氏】編『新田一族』章「徳川氏」節 109.徳川家康・九十七
【清和源氏】編『新田一族』章「徳川氏」節 108.徳川家康・九十六
【清和源氏】編『新田一族』章「徳川氏」節 107.徳川家康・九十五
【清和源氏】編『新田一族』章「徳川氏」節 106.徳川家康・九十四
【清和源氏】編『新田一族』章「徳川氏」節 105.徳川家康・九十参
【清和源氏】編『新田一族』章「徳川氏」節 104.徳川家康・九十弐
【清和源氏】編『新田一族』章「徳川氏」節 103.徳川家康・九十壱
【清和源氏】編『新田一族』章「徳川氏」節 102.徳川家康・九十
【清和源氏】編『新田一族』章「徳川氏」節 101.徳川家康・八十九
【清和源氏】編『新田一族』章「徳川氏」節 100.徳川家康・八十八
【清和源氏】編『新田一族』章「徳川氏」節 99.徳川家康・八十七
織田信長(1534-1582年)についての一代記「信長記」には、太田牛一(1527-1613年)の手によるものと、これとは別に小瀬甫庵(1564-1640年)が著したものがあって、両者を区別するために、一般的には牛一版を「信長公記」(1600年頃?)、甫庵版を単に「信長記」または「甫庵
「関ケ原の戦い」(1600年)の直前の話だが、当時豊臣方(西軍)を切り盛りしていた故・豊臣秀吉の腹心・石田三成(1560-1600年)は、有力武将を味方につけるべく、その妻子を人質に取る作戦をとった。人質を大坂城に留め置くことで、彼らが徳川方(東軍)につくこと、それと
若武者・牛若丸(後の源義経/1159-1189年)と、後にその郎党となった僧兵・武蔵坊弁慶(生年不詳-1189年)との出会いは、童謡「牛若丸」にも歌われるほど有名で、こんな内容になっています。~京で千本の太刀を奪う悲願を立て、通りがかった武者に 決闘を挑んでは、それに
~織田信長(1534-1582年)は、大将の馬の廻りに付き添って護衛・ 伝令・決戦兵力として働く親衛隊的な存在である「馬廻」などの 精鋭を赤・黒二色の「母衣衆(ほろしゅう)」として抜擢した~さらに、~その中でもとりわけ優秀な者については、部隊の指揮官にまで 昇進さ
「関ヶ原の戦い」(1600年)の折の出来事です。いささかの手違いがあって、心ならずも 西軍にその身を置くことにしたのが薩摩国・島津義弘(1535-1619年)でした。戦闘についての作戦もそれなりに具申しましたが、ただ西軍指揮官である石田三成(1560-1600年)はそれに賛意を
苦労の末に奪取した自らの権力を、わが子・秀頼に継承させるべく心を砕いた晩年の豊臣秀吉(1537-1598年)は、政権運営の一端を配下の有力武将、いわゆる「五大老」に輔弼させる形を取りました。徳川家康・前田利家・毛利輝元らに混じって、五大老には、秀吉に可愛がられてそ
織田信長(1534-1582年)から偏諱の「信」の字を、また下の字「康」を父・徳川家康(1543-1616年)から与えられたのが、後に「切腹」に追い込まれることになる家康嫡男・松平信康(1559-1579年/生前は徳川姓)でした。通説によれば、その「切腹」の発端は信康正室・徳姫が父
~宇宙の中心である中国王朝の文化・思想のみが最高のもので あり、それを持たない周辺(辺境)の異民族は単なる野蛮人に 過ぎない~こうした思想を「中華思想」と呼びますが、これがハンパなものでないことは、東西南北四周の異民族の総てに対して、野蛮人を意味する東夷
★都合により、しばらくの間(10日~2週間程度)記事の更新をお休みします。☆☆☆前回の「著名人の自宅を探訪~代田・代沢散策(4):服部克久/河口慧海/萩原朔太郎/円乗院」では、世田谷区の代田を散策しながら、服部克久の自宅や文士・著名人の旧宅跡を探訪しました。今回は、代田を散策しながら、中島みゆき、なべおさみなど芸能人・著名人の自宅を探訪します。(※)他の芸能人・著名人関係の記事については、「芸能人・著名人...
今回は、「失われた三田用水遺構と戦艦大和と目黒新富士~三田用水跡散策(6)」での散策場所近くにある史跡を通じて、隠れキリシタンについて考察してみます。また、本記事は「三田用水跡暗渠散策シリーズ」の番外編となりますが、番外編としては本記事の他に以下の2つの記事とシリーズがあります。①「日本最大のイスラム寺院・東京ジャーミイを訪問」②『「芸能人・著名人の自宅」と「湧水」を探訪~代々木八幡・初台・西原・大...
戦国の雄・織田信長(1534-1582年)についての一代記「信長記」には、信長近習の書記・太田牛一(1527-1613年)の手によるものと、これとは別に、儒者・小瀬甫庵(1564-1640年)が著したものがあります。両者を区別するために、一般的には牛一版を「信長公記」(1600年頃?)
戦国時代の日本に渡来した巡察師・ヴァリニャーノに同行し、織田信長(1534-1582年)の謁見(1581年)を経て、後にその献上品?とされた黒人がいます。~切支丹国より黒坊主参り候/年齢26-27歳ほど/ 十人力の剛力/牛のように黒い身体~よほどビックリこいた出来事だった
本作の徳川家康は、物語終盤、武田信玄との戦いの中、信長が、本当に頼れる存在なのか、不安視し、菊丸は、光秀のみが、信じるに足ると述べている。 家康の妻の築山殿…
本作において、羽柴秀吉を演じるのは、佐々木蔵之介。 本作の秀吉は、木下藤吉郎の時代、即ち、織田信長の家臣になる、以前から、登場する。 藤吉郎は、行商をしてい…
親の身分を子が継承することを、ごく当たり前のこととしていた時代もありました。それなりの格式を備えた家柄ともなれば、そのルール?はさらに厳しくなり、場合によっては、逆に親の身分を引き継ぐことから逃れるのが困難という状況すらあったほどです。いわゆる「家老の子
法華堂跡(2)源頼朝の墓
法華堂跡 北条義時の墓
北条氏供養の寺「宝戒寺」
■武家政権の発祥 北条氏の拠点『江間』周辺を散策(静岡県伊豆の国市)
北条義時ゆかりの秋の覚園寺
初夏の翔んで山梨一人旅 北口本宮冨士浅間神社編
北条時房・北条顕時の邸宅跡
北条義時邸宅跡
金剛寺(神奈川県秦野市)探訪記
玄国寺(東京都新宿区)を訪問しました
【どうする家康】#22 設楽原でPTSD発症の信康、そして瀬名が動く
「北条義時」(岩田慎平 中公新書)を読んで
女性歴史小説家のパイオニア・永井路子さんのご逝去を悼む。
北条泰時の母は八重だったのか?謎多き八重に迫る「鎌倉殿と執権北条氏」
北条義時と結婚した?失恋して入水自害した?伊豆に残る「八重姫伝説」ゆかりの地へ
日本史上、真の意味において、大河ドラマの主人公に相応しい、と呼べる、女性は、持統天皇、北条政子、春日局の三人しかいない。 他の女性は、基本的に、能動的行動を…
本作において、五摂家の近衛家の当主、関白の近衛前久を演じるのは、本郷奏多。 前久は、近衛家に拾われ、育てられた、伊呂波大夫とは、姉弟の様な関係である。 前久…
前述の通り、朝倉義景は、足利義昭を保護下に置くが、一向に上洛を果たそうとはしなかった。 しかし、信長が、義昭を奉じて、上洛することを決断し、義昭が、越前国か…
片岡鶴太郎の大河ドラマ出演は、1990年、本作と同様、池端俊策の脚本の『太平記』における、北条孝時を始めに、1997年の『毛利元就』の井上元兼、1999年の…
日本史では「戦国時代」(1467-1590年)との異名もある室町時代の末期は、文字通り全国各地で活発に“戦さ”が展開された時代です。“活発に戦さ”ということは、言葉を換えれば、それに比例して多くの「戦死者」を生んだということにもなります。しかし、例えば映画やTV時代
本作において、室町幕府の第十五代将軍、足利義昭を演じるのは、滝藤賢一。 多くの作品では、義昭の良い面は、皆無に近く、圧倒的に無能な人物として、描かれる。 本…
室町幕府の奉公衆、三淵藤英を演じるのは、谷原章介。 奉公衆とは、将軍の直属の軍事力で、幕府の武官的存在である。 三淵氏の祖、三淵持清は、室町幕府の三代将軍、…
三好長慶の重臣、松永久秀を演じるのは、吉田鋼太郎。 吉田の大河ドラマ出演は、1998年の『徳川慶喜』の近江屋作兵衛、2007年の『風林火山』の津田堅物、そし…
本作において、足利宗家、第二十代当主、室町幕府の第十三代将軍、足利義輝を演じるのは、向井理。 義輝は、戦国時代の大河ドラマの主人公となる、織田信長・豊臣秀吉…
第二十話及び、第二十一話は、今川義元の尾張国侵攻、そして、桶狭間の戦いを描いている。 そのため、完全に、信長が、主人公となっている。 本作の桶狭間の戦いにお…
信長は、病を装い、見舞いに訪れた、信勝と、互いに相手の美点を羨んでいたことを明かし合う。 しかし、信勝は、信長を毒殺するため、毒を持ち込んでおり、信長は、そ…
織田信秀は、嫡男の信長に那古野城を、信勝に末森城を与えたが、本作の信長は、末森城が、信勝に与えられたことに不満を抱いている。 何故なら、前述の通り、末森城は…
豊臣秀吉(1537-1598年)政権下で、ともに五大老としてその職責を担っていた徳川家康(1543-1616年)と前田利家(1538?-1599年)のその後は以下のようになりました。○1598年 豊臣秀吉の死 (享年62)○1599年 前田利家の死 (享年62?)○1600年 故・利家の妻・まつ(
本作の織田信長は、完全な新解釈である。多数の作品の信長は、「唯我独尊」的人物として、描かれることが多い。 しかし、本作の信長は、愛情に飢えているため、褒めら…
前述の通り、織田信長の曽祖父、織田良信は、織田敏信の息子とされているが、定かではない。 その息子、即ち、信長の祖父、織田信定は、良信の息子ではなく、大和守家…
本作において、織田信長を演じるのは、染谷翔太。二十七歳の染谷は、大河ドラマの出演は、四作目。 ただし、本作以外は、数話のみの登場であり、レギュラー出演は、本…
斎藤利政の庶長子、斎藤高政を演じるのは、伊藤英明。高政は、歴史上では、斎藤義龍の名で、知られる。 本作では、長良川の戦いで、道三を殺害し、上洛後、義龍に改名…
天下布武を目前にしながら、その直前に家臣・明智光秀の謀反に倒れた織田信長(1534-1582年)。そしてその後の政局を掌握したのは、同じく信長の家臣だった羽柴秀吉(1537-1598年)でした。後に新姓を賜り「豊臣秀吉」と名乗ることになる人物です。そして、その名乗りの変遷
『麒麟がくる』の帰蝶は、物語前半は、ヒロインの一人として、大活躍する。 本作の帰蝶は、光秀の従兄妹であり、第一話から、層状する、才気溢れる、活発な人物である…
仮に、沢尻エリカが、降板せず、帰蝶を演じていれば、全く、別の帰蝶になっていたのみならず、異なる、作品になっていたと考えられる。 沢尻エリカは、「悪女」のイメ…
斎藤道三の娘、本作のヒロインの一人、帰蝶を演じるのは、川口春奈。 帰蝶は、「濃姫」の名が、有名であるが、濃姫は、織田信長の尾張国の視点で、美「濃」国の「姫」…
本作において、美濃国の守護代、斎藤道三を演じるのは、本木雅弘。 本作内では、出家前の名、斎藤利政の本名、または、通称の山城守と呼ばれている。 通説においては…
本作の事実上のヒロインは、門脇麦の演じる、架空の人物、駒である。 オープニングの出演者のクレジットでは、駒=門脇麦が、煕子=木村文乃より、先である。 女優と…
出自不明、生年不明の明智光秀が、斎藤道三に仕えていたとの説は、確かではく、無論、道三の命を受け、京の情勢を探り、尾張国に潜入する等は、史料は、完全に皆無のフ…
明智光秀、通称、「十兵衛」は、本作では、基本的に「十兵衛」と呼ばれることが多い。 通称とは、江戸時代以前には、「本名」=「諱」を呼ぶことを避けるために用いら…
2014年の『軍師官兵衛』は、春風亭小朝が、明智光秀を、江口洋介が、織田信長を演じている。 同作では、怨恨説を採用し、岡田准一の演じる、黒田官兵衛及び、竹中…
たとえば、こんな素っ気ない紹介文だとしたら、その意味するところをすんなり理解できる人は少ないのかもしれません。~耶蘇教が日本に伝わった戦国時代の16世紀、伴天連の 活動もあって、この日本にも多くの切支丹が誕生した~早い話が、この耶蘇教(やそきょう)、伴天
本作の主人公、明智光秀を演じるのは、長谷川博己。 既に、長谷川は、2013年の『八重の桜』の川崎尚之助役として、大河ドラマに出演している。 川崎尚之助は、綾…
極論を言えば、本作は、2016年の『真田丸』と同様、最終回のために、全話が、描かれている。 歴史ドラマは、戦国時代のみならず、日本史上の全時代を通じて、クラ…
日本史上最大の謎、本能寺の変の原因について、本作は、怨恨説、朝廷黒幕説などの一つの要因ではなく、複合的要因としている。 しかし、最大の理由は、ある意味、信長…
最終回を見終えたばかりの、2021年2月7日時点の筆者の感想としては、『麒麟がくる』の題名の回収としては正直、微妙であった。 しかし、何故、明智光秀が、「本…
NHK大河ドラマ【麒麟がくる】 評価:085点/2020年/大河ドラマ/脚本:池端俊策/全44話/平均視聴率:14.4%出演:長谷川博己、染谷翔太、門脇麦、木…
「死んでも生きている」?別にフランケンシュタインやゾンビのお話ではありませんが、実は「その時死んだ」ことが歴史の事実として確定しているにもかかわらず、「いや、奴サンは実は死んではいなかったのだ」と主張される人物が、日本史には少なからず登場しています。これ
蜂須賀至鎮は、木津川口砦攻略後に、同地に布陣していたが、水野勝成が、博労淵砦を攻略する前に、自身が、砦を落とそうと考え、家康に「博労淵の守備兵が、荻に隠れて…
蜂須賀至鎮は、1586年(天正十四年)、蜂須賀家政の長男として、誕生した。 至鎮の母は、家政の正室、生駒家長の娘の慈光院。 前述の通り、1600年には、小笠…
在野の研究者の歴史書から学んだ結果をまとめたもの
日野市および周辺の地域情報や歴史にまつわる話を取り上げています。
日本100名城・続日本100名城に関する記事なら何でもOKです
親鸞
令和3年(2021年)の大河ドラマ「青天を衝け」を応援しましょう。
ガイドブックに載っていない、ローマの観光スポットを歴史とともに語る。
夫余(ふよ、朝鮮語: 부여、拼音: Fúyú、正字体:夫餘)は、現在の中国東北部(満州)にかつて存在した民族およびその国家。扶余(扶餘)[1]とも表記される。 https://ja.wikipedia.org/wiki/夫余
町奉行・寺社奉行・公事方勘定奉行、自身番屋・辻番・木戸番、火付盗賊改、関東取締出役、目明し・岡っ引き・手先、囚獄、評定所などに関するトラバ用テーマです。
私が書き残しておかなければ、永遠に埋蔵金が発掘されないであろうと思い、気力と体力のあるうちに30数年前に埋蔵金の研究をしたことを記載する。当時、埋蔵金発掘番組が世間を騒がしていたことを記憶されている方もおられると思うが、日本トレジャーハンティングクラブの代表として、TV局に番組の修正を依頼した経緯なども付け加えておく。
戦後GHQは昭和三年から昭和二十年までに刊行されていた書物のうち7769点を指定し、本屋などで流通していた書籍を没収・廃棄し、戦後の日本人に読めなくしました。 どのような書籍が没収されていたかを調べると、軍国主義的な書籍よりも圧倒的に多いのは、戦勝国にとって都合の悪い史実などが書かれた本であることが分かります。 GHQ焚書は、「国立国会図書館デジタルコレクション」で、3割程度の本がネットで公開されています。実際に読んでみると、戦後詳しく知らされてこなかった史実などが満載です。