考古学・原始・古墳時代 注目記事ランキング

  • 更新時刻:18/05/21 00:30現在
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1位
古荘冬馬人さん
  • 情報提供九州はひとつではない だから邪馬台国は海を越える 卑弥呼の都へ旅をする古荘冬馬人さんのプロフィール
  • そもそも北部九州と南部九州が同じ連合体をとっていたようなことは無理があります。地政学的に、これは阿蘇山をはじめとした九州山地で分断されるのです。宮崎の日向に邪馬台国があって、福岡平野や筑紫平野の国々を従えていると言う構図は、地理的に無理があります。九州はひとつの島だから一つのまとまりで考えられがちになりますが九州とは実は一つの生活圏ではありません。九州はその面する海に向かってまるで違う精神風土をも

2位
古荘冬馬人さん
  • 情報提供遺跡から考える邪馬台国 卑弥呼の都へ旅をする古荘冬馬人さんのプロフィール
  • 239年に卑弥呼の最初の朝貢があります。最後は266年に卑弥呼の後継者のトヨが、これまた魏の後継の晋に朝貢していますから、邪馬台国はおおよそ3世紀の国です。しかし、卑弥呼共立のまえに邪馬台国連合のようなまとまりが倭国大乱を起こしていますから、そしてそれは100年ほどあったらしいので、2世紀には大きなまとまり的なものは倭にあったとなります。2世紀から3世紀ざっとその時期にこのような重要遺跡があります。1世紀

3位
青松光晴さん
  • 情報提供纏向遺跡は邪馬台国か?(2)〜魏志倭人伝が記す「倭国」の詳細 日本古代史つれづれブログ青松光晴さんのプロフィール
  • 「邪馬台国」がどこなのか?、は日本古代史最大のミステリーと言ってもいいでしょう。前回は、同時代の西日本集落をまとめましたが、多くの遺跡があることがわかります。ではどこなのかについては、議論百出といったところで、結論が出てません。それは一つには、「邪馬台国」について最も詳細に記している中国史書「三国志魏志倭人伝」が示す位置が、いかようにでも解釈しうるからからです。実際には丁寧に読み解くと、位置はみえ
4位 刮目天 一(はじめ)さん
  • 情報提供邪馬台国 水行陸行の謎?(最終回) 刮目天のブログだ!刮目天 一(はじめ)さんのプロフィール
  • ランキングに参加しました!よろしければポチっとお願いします( ^)o(^ ) にほんブログ村原始・古墳時代ランキング<E>「日本書紀」・神社伝承などから分かること(1)天武天皇が崩御した後の「日本書紀」編纂の第一の目的は、優秀な皇子たちを排除して即位した持統天皇の正統性を主張したいためだ。同時に、権力を握った藤原氏が、蘇我氏・物部氏・大伴氏といった日本建国に貢献した名族を歴史から抹殺し、その権力の正統性を主
5位 挂甲の武人さん
  • 情報提供箕田2号墳(三士塚) 鴻巣市箕田 週末は古墳巡り挂甲の武人さんのプロフィール
  • 箕田(みだ)古墳群は、大宮台地の北東端、通称箕田台地と呼ばれる台地の上にある。9基の古墳が確認されている。1号墳と3号墳は消滅している。箕田2号墳。円墳。径23m、高さ2.7m。1984年の調査で周溝が確認され、築造時は径32mと推定される。6世紀後葉の築造。墳頂に氷川神社を祀る。「武蔵国郡村誌」(1953年)では三士塚とされる。南西から。北西から。箕田古墳群は宮前、富士山、龍泉寺、稲荷腰、追分支群に分かれるという。9基しか
6位 古荘冬馬人さん
  • 情報提供邪馬台国周辺国の謎 最終回 狗奴国は大和王権 傍国は中国地方 卑弥呼の都へ旅をする古荘冬馬人さんのプロフィール
  • 大和王権が狗奴国である基本的に邪馬台国=大和王権邪馬台国=プレ大和王権あるいは大和王権の関連という考え方になっているように思います。これは九州説でも邪馬台国東遷説やとよ東遷説があってなんらかの形で邪馬台国が大和王権につながったという考え方がなされている。しかし邪馬台国が大和王権と縁もゆかりもないということであるなら、たとえばこんな地図になると思います。つまり大和王権こそ狗奴国だという考え方にすると
7位 古代日本国成立の物語さん
  • 情報提供名古屋市博物館 古代日本国成立の物語古代日本国成立の物語さんのプロフィール
  • 名古屋出張の機会を利用して名古屋市瑞穂区にある名古屋市博物館を訪問。「尾張の歴史」をテーマに名古屋市内の古代から近代までの考古資料および歴史資料を展示する市立の大きくて立派な博物館です。地下鉄桜通線の桜山駅から5分ほどで到着。正面から見ると大きさがわかる。見学途中で「ボランティアガイドによる展示説明を希望する人は受付に集合してください」という館内アナウンスがあったので、参加することにした。集合した
8位 くまさんさん
9位 古荘冬馬人さん
  • 情報提供邪馬台国と日本海沿岸の倭人たち  綾羅木郷遺跡あやらぎごういせき 卑弥呼の都へ旅をする古荘冬馬人さんのプロフィール
  • 沖の島航路は紀元前からあったはず沖の島が重要であったのはヤマト王権ができてから、ヤマトから半島に行くとき、壱岐までいくと遠回りだということで、沖ノ島経由が重宝されたとなっているように思います。天照大御神とスサノオのうけひ で宗像三女神が生まれたわけですがこれはつまり天照大御神勢力とスサノオ勢力の間で、沖ノ島経由で対馬から半島の航路の割譲があったということでしょう。壱岐経由で対馬、半島への航路と、沖
10位 刮目天 一(はじめ)さん
  • 情報提供邪馬台国 水行陸行の謎?(その5) 刮目天のブログだ!刮目天 一(はじめ)さんのプロフィール
  • ランキングに参加しました!よろしければポチっとお願いします( ^)o(^ ) にほんブログ村原始・古墳時代ランキング<D>地政学から分かること(1)銅矛、銅剣と銅鐸の出土分布図から、祭祀の様式によって文化圏を作っていることがわかる。弥生時代は祭政一致が特徴だから、祭祀様式による勢力圏が分かる。銅矛文化圏は北九州の奴国を中心とする四国を含む領域だ。銅鐸は山陰から近畿、東海にかけて拡がっており、銅剣は北九州と出
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11位 刮目天 一(はじめ)さん
  • 情報提供邪馬台国 水行陸行の謎?(その4) 刮目天のブログだ!刮目天 一(はじめ)さんのプロフィール
  • ランキングに参加しました!よろしければポチっとお願いします( ^)o(^ ) にほんブログ村原始・古墳時代ランキング<C>倭人伝以外のシナの歴史書からわかること(1)「後漢書」(巻八十五・東夷列伝倭の条)が一番信頼できる史料だ。史官陳寿の歴史家としてのプライドだと思うが、真実へのヒントは残してくれていたようだ(^_-)-☆。これを正しく読み取ったのが「後漢書」の編纂者の范曄(はん よう、398年 - 445年)なのだ(「後
12位 Mumblerさん
  • 情報提供『続日本紀四』を手配、入手 MumblerMumblerさんのプロフィール
  • 5/11の『続日本紀』教室で、出版元の岩波が絶版にした、従って、高価、かつ入手困難になりつつあると聞きました。早速、Amazonにあった1冊を発注しました。入手に成功。今、読んでいる『続日本紀三』を終えて、この『続日本紀四』が入用になるのは、あと1年先かもしれませんが。2013年1月から始めて、5年で半分まできた。あと5年かぁ。
13位 HN.稗田阿礼さん
更新時刻:18/05/21 00:30現在