考古学・原始・古墳時代 注目記事ランキング

  • 更新時刻:18/09/23 11:30現在
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1位
挂甲の武人さん
  • 情報提供古屋敷古墳 小山市飯塚 週末は古墳巡り挂甲の武人さんのプロフィール
  • 境町の毘沙門塚古墳から小山市の摩利支天塚古墳に向かったら、途中で明らかに古墳の上に鎮座する御社があったので立ち寄った。墳丘の上に七面大明神を祀る。あとで、古屋敷古墳という名前を知った。円墳。径18m、高さ3m。北東から。南から。にほんブログ村

2位
挂甲の武人さん
  • 情報提供本郷古墳 小山市南半田 週末は古墳巡り挂甲の武人さんのプロフィール
  • 姿川左岸の段丘上にある本郷古墳。前方後円墳。南東から。手前の墓地が前方部、奥が後円部。後円部の墳頂から前方部。後円部の墳頂から北西を望む。中央の電柱の右に琵琶塚古墳、左に摩利支天塚古墳、手前を姿川が流れる。にほんブログ村

3位
しずおかkさん
4位 しずおかKさん
5位 sakutaroさん
  • 情報提供天平時代へのタイムマシン、『正倉院展』 この秋も開催 Kodai-Notesakutaroさんのプロフィール
  • 2018年度70回目となる『正倉院展』。10月27日から。奈良の秋の風物詩というべき『正倉院展』が10月27日から17日間にわたって行われる。この季節になると、私も正倉院展モードにスイッチがはいり、皮膚が泡立つ感覚を覚えはじめる。私の審美眼など、たいしたことはないが、古代の人々の技巧や当時の皇族、つまり聖武天皇や光明皇后が過ごしたひとときに触れることができると思うと、皮膚が泡立つのだ。私にとって正倉院展とは古代へ
6位 古荘英雄さん
  • 情報提供九州王朝よもやま話「日本古代史 卑弥呼と邪馬台国を探求する」 卑弥呼の都へ旅をする古荘英雄さんのプロフィール
  • 古田武彦さんの九州王朝説倭王磐井に対して分家の日本王継体が謀反を起こし、半島出兵に兵を出せと言われて倭都に向かい、そのまま磐井を倒してしまったとか。 大混乱の理由は倭へ日本がクーデターを起こしたからだと。 なんでもありみたいな話かもしれませんね。ヴィキより。宮崎県東臼杵郡美郷町滅んだ百済から逃れてきた王族が彼の地に亡命したという伝承があり、百済王一族を慰める「師走祭り」という例大祭が神門神社などで行
7位 古代日本国成立の物語さん
  • 情報提供大阪市立大阪歴史博物館(No.2) 古代日本国成立の物語古代日本国成立の物語さんのプロフィール
  •  大阪歴史博物館は隣のNHKとともに大阪市立中央体育館の跡地に建てられ、2001年に開館しました。中央体育館を解体するときに難波宮跡が発掘されると同時に5世紀の遺跡である法円坂遺跡も発掘調査されました。このときの遺構が建物の下に保存され、見学をすることができます。 チケット購入時に遺構見学ガイドツアーに参加したい旨を告げて開始時間や参加方法を聞いていたので、博物館の展示見学を少し早い目に切り上げて1階ロ
8位 古荘英雄さん
  • 情報提供海部氏と古代丹波王国と海神族「日本古代史 卑弥呼と邪馬台国を探求する」 卑弥呼の都へ旅をする古荘英雄さんのプロフィール
  • 若狭湾は天然の良港若狭湾は琵琶湖へすぐ。 琵琶湖は尾張平野へ、河内へ、奈良へと続く地政学上の中心点。 そして琵琶湖へ向かうのに若狭湾は最適な海岸線です。 この湾には冠島という天孫降臨伝説を持つ島があり、また浦島伝説があります。 徐福が来たという説もあり、にぎやかないところです。 この丹後を核にかつて大丹波王国があったのではないかという話もあります。 越と近江と出雲の真ん中、丹波について語りましょう。
9位 Mumblerさん
  • 情報提供東大和市ってどんなまち? MumblerMumblerさんのプロフィール
  • 市役所の公式ホームページに出ていました。「東大和ってこんなまち」と説明するのにピッタリ。「こんなまちに住んでます」と言ってあげましょう!トップページの中央に出ています。カンタンに絵で説明するなら、左側。URLはhttp://www.city.higashiyamato.lg.jp/suumo/15分40秒の動画を見てもらえるなら、右側。下面いっぱいでみるなら、下記URLを 。https://youtu.be/aUku28fwg34老友たちへの年賀状にコレを入れてやろうか
10位 snowymothさん
  • 情報提供広瀬龍田神祭 日本書紀と百済snowymothさんのプロフィール
  • 書紀の広瀬龍田神祭も、短い時代ごとに表記の変わる要素です。神祭の初出は天武紀の〈15〉で、翌〈16〉の4月と7月には「祭龍田風神・広瀬大忌神」との表記が見られます。天武四年(675〈15〉)(4月)遣小紫美濃王・小錦下佐伯連広足、祠風神于龍田立野。遣小錦中間人連大蓋・大山中曽禰連韓犬、祭大忌神於広瀬河曲。天武五年(676〈16〉)(4月)祭龍田風神・広瀬大忌神。天武五年(676〈16〉)(7月)祭龍田風神・広瀬大忌神。〈
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11位 snowymothさん
  • 情報提供その後の広瀬龍田祭 日本書紀と百済snowymothさんのプロフィール
  • 持統紀のうちには4月と7月に律儀に続いた広瀬龍田の神祭も、続く続日本紀にはほとんど出てきません。光仁時代に1件、広瀬瀧田とありますが、祭りの記事ではないようです。(光仁)宝亀九年(778〈58〉)(6月)奉幣帛於広瀬瀧田二社。日本後紀の範囲では、799〈19〉年に「広瀬・竜田祭」が見られます。ただし4月・7月ではありません。(桓武)延暦十八年(799〈19〉)(6月)広瀬・竜田祭。(嵯峨)弘仁十三年(822〈42〉)(8月)
12位 橋♪さん
13位 古荘英雄さん
  • 情報提供古代の渡来人ってなんだ?「日本古代史 卑弥呼と邪馬台国を探求する」 卑弥呼の都へ旅をする古荘英雄さんのプロフィール
  • 古代の渡来人について対馬海峡の両岸には同じクニがあったと考える方が人間の営みとして必然か。そうするとわざわざ日本に行こうという心理ではなくて、対馬の半島南端ゾーンに来たら、海の向こう側のゾーンに行ってむる。いや対馬や壱岐に行こうとする。 つまり渡来するのは列島にではなくて対馬海峡両岸ゾーンすなわち倭の地に対してであり弁韓任那に来たらそこはもう倭であるということ。倭に来たら対馬と壱岐の船で自由に
14位 クーラーさん
  • 情報提供地理院タイルとして利用できるデジタル標高地形図 花見川流域を歩く 番外編クーラーさんのプロフィール
  • 国土地理院のデジタル標高地形図は彩色標高と地形図情報が同時に表現されている綺麗な地図です。このデジタル標高地形図の「千葉市周辺」が地理院タイルとなっていますので、QGISの背景地図として活用し重宝しています。デジタル標高地形図「千葉市周辺」 QGIS画面デジタル標高地形図のQGISにおける利用方法は忘れないように2018.08.09記事「デジタル標高地形図の存在を知る」にメモしました。その後他の図幅についても利用しよう
更新時刻:18/09/23 11:30現在